死を身近に感じる時 | 地球と暮らそう*^ー^*☆★苺mamaのやさしい節約生活★☆

死を身近に感じる時

昨日、主人の兄が事故に遭いました。


駆けつけた時には、緊急処置室で手術中。


優先道路を走行中、飛び出してきた車を避けきれず


追突された勢いで、電柱に激しく衝突し


その勢いで頭部を打ちつけ、刺さったガラスの破片を


摘出する手術で、8針縫ったようです。


幸い、命に別状はなく、検査の結果も


とくに問題ないということで、


今日の昼、退院することとなりました。



もう一つ幸いだったのは


普段なら十中八九同乗しているであろう奥さんが


たまたま事情があって、病院に入院中であったこと。


またまた、たまたま、お義兄さんが救急車で運ばれたのがその病院。。


助手席には電柱が食い込んで、くの字に車が押しつぶされている状態なので


もし、奥さんが乗っていたら…と思うと、怖ろしい。


それこそ、大惨事になっているところでした。




パンダpapaが事故車から、貴重品の入ったカバンと


必需品の眼鏡を持ち帰ってきました。


血まみれの眼鏡は、洗ってふき取ると


また、フレームにしみこんだ血がにじんできて


何度も何度も洗ってようやくキレイになりました。


ふたのしまった頑丈なカバンの中からは


飛び散ったガラスが沢山出てきて


事故の衝撃を、生々しく物語っていました。




こんな時、死というものを身近に感じます。




実際は、生きている限り、死というのは隣り合わせのすぐ近くに


あるものなのでしょうが


不思議なもので、人は無意識に、次の瞬間も必ず自分は生きている


という、安心感を抱いているような気がします。


必ず、明日があり、自分は目覚め、相手も生きているって。



でも、本当は、誰にいつ、何が起こるかわからない。





我が家は、あまり長引く喧嘩って、しない夫婦なんです。


根が浅というか。


とくにわたしはパンダpapaにちょっとしたことですぐ怒って不機嫌になる。


で、そのまま主人が仕事に出かけたり


わたしがバイトに出かけたりと


別れることもしばしば。


もし、こんな状態で別れて


次にもう二度と会えない……なんてことになったら


絶対に後悔するはず。



死を前にすると、相手のささいな欠点なんて


無きに等しく感じるものです。


生きていてくれることだけで有難いと。



つまり普段、生が当たり前になりすぎて


つい不満ばかりを感じがちなんだと思う。


居なくなってから、有難さを感じるより


せっかくなら、生きている時にそれを感じ


感謝し、自分も相手も幸福であった方がいいにきまってる。




そんなことを、反省がてら、考えていました。



せめてしばらくの間は、


パンダpapaが生きていることを感謝し


出来るだけ笑顔で、


そして、良い関係で、送り出してあげれる


奥さんであれるようかんばろう。




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とかいいながら、愚痴る苺mama


アメブロ、リニューアルはいいんだけど


さっきは、画像をUPしたら記事全部消えるし


ランキングは、異様に変動してるし


なんか、ちょっとイヤヽ(`д´;)/